カテゴリ:2008( 5 )

ランプスロッジにて

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暑くなったり、涼しくなったり、また大変な出来事が多い時、1日1日を大切にしたくて小淵沢まで来ました。

都会ではノイズに聞こえる声がここでは自然と共振するためその人の思いがわかります。瞬間を丁寧に生きる感覚が少しわかったような気がします。
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by lampslodge | 2008-07-23 12:07 | 2008

3月のメッセージ

大阪八尾市在住の高津さんの5年越しの思いが実り、参加者50人以上集めたワークショップと、その発表会が行われた。高津さんのやりたいという気持ちがボランティアを集めて八尾市を動かした。

高津さんが視覚障害なので私は歌を6曲歌った。私の声が直接思いとなって観客の耳に届くだろうか、振動を研究している私にとって今までの中で一番の正念場だった。

ソーランバラードという曲を歌っている時に障害のある子供が「グエッ」という吐き出す声を発していた。今までの私だったらなんて運が悪いと思い、少なからず影響されたが、私はなるべく観客全体を大きくとらえ、又一人一人の発している何かを捕まえようと自分の体の中心を上と下に伸ばし、体から発する波を遠くまでイメージした。一瞬でも気を許すと自我が出てくじけそうになるが、逆に楽に力を抜けば、即興で次はこうすれば良いと言う声と体のイメージが明確に何処かから届けられて来る。気がつくとシンと静まり返っている。嬉しかった。最後に参加者全員と踊る時も、一人残らずの人と生きる喜びを分かち合いたかった。さっきの「グエッ」の子も何となく踊っている。私たちは声と体を通してもっと一つになれる。共振出来る。

高津さんは見えないのにとても明るくてエネルギッシュだ。その純粋な気持ちが沢山の人を振動させる。参加者の中で小児病棟を抜け出して来ている和美ちゃんがいる。その子との別れ際に「和美ちゃんは将来何にでもなれるから信じてね」という私を見つめる目の力強さが忘れられない。
また秀星くんという中一の男の子の即興でやった皆を励ます踊りが忘れられない。足が不自由なのに格好良く、手を挙げて笑う姿が目に焼き付いている。

私はリーダーとして皆をまとめている。だけどその中に優越意識はないだろうか?自分が皆より何処か優れていると思っていないだろうか?
色んな人の真剣な思いに触れる度に怖くなる。
本当に大事なのは子供の心だ。和美ちゃんの人を真っすぐに見て信じきれる心、秀星くんの人に対しての深い思いやり、そして高津さんの沢山の人と関わって喜びを分かち合いたいと思い続けその大変さを乗り越えられる強靭な意思だ。人と比較させられ皆と同じことが出来るのを良しとする社会では、それがおのずと支配をし、また正義感をかざして人を批判する。でもそれは本当に自我からではなく流れの中での出来事だろうか?

人に腹を立てて何か言う事で、体の細胞は死んで行く。

そこまでして何かを言う事は、本当に体を犠牲にしてくれて偉いと思うが、まず人を許す事から私は始めたい。
ソーランバラードで上手くいったのも、感情に負けていたら無理だった。

それにしても3月15、16日とも楽しかった。
子供の時のように無心に、純粋にもっとなりたいと心から思った。
関わった全ての人たちありがとう。本当に有り難う。

3月20日
by 香瑠鼓 >>HP
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by lampslodge | 2008-03-28 00:21 | 2008

日本女子体育連盟のワークショップが終わって

2月10日、11日と日本女子体育連盟のワークショップが終わった。アシスタントの先生達が「何かひとつドアが開いたって感じです」と言ってくれてホッとした。何せ今回は中高生の体育の先生中心という事で自分のやって来たメソッドを体系化し、図式にし、どんな質問でも理論づけて答えられるようにした。テーマは「幸せになる即興力〜主観と客観を瞬時に切り替える」だ。

人間窮地に陥るととっさに解決策を思いつく。そういう状況を無理無く創り上げチームに分けてゲーム感覚で一瞬にして表現を即興で創って行く。
私の理論では「即興は身体で相手を受け取る=素粒子の単位では振動している私達の肉体同士を共振させる」が中心となっている。声も空気を振動させ相手に伝わるのだから振付けで揃った踊りをしているときも共振しているのだろう。それを同じ動きではなく全員バラバラだけれど調和がとれていてエネルギーがある、という風に持って行く。

まず受け取る、相手を感じる、チームとして全体を感じる。
人間同士が繋がってひとつの有機生命体のように自然と動く。ゆっくり動くのならぶつからないが早く動いてかつビートを変えて行く。ある瞬間に感情を出すが客観的に全体を見て1枚の絵のように止まる。CMで言うなら思いがけない展開で印象を残しつつ最後に商品が出て来て更に印象を残す。

余談だがこのレッスンはLD児のチビユカちゃんに今非常に有効だ。
チビユカちゃんは即興のクラスに出ている熱心な生徒だが、家で練習した事をずっと繰り返しているので即興とは言えない。私のマネをしたり練習して来た踊りを相手に問いかけるだけでは一方通行だ。ニコニコ笑っているけれど強烈な自我である。が、このビートを変えるレッスンで相手を受け取ってマネでは無く、答えを返す仕組みが少し解って来た(ここまで来るのに約12年かかった。ヤった!)。

さて前述のワークショップのメンバーは何か必ず自分のモノにしようという大変意欲的な素晴らしい人たちだった。私達が見本を見せるとエッ?とかすごい!とか驚いて引いてしまったらどうしよう?と心配していると、結局はやってしまう。2日目のパフォーマンスとして見せる時には私も思わず引き込まれてしまう程の感性の鋭さだった。

遠方から来てくれた障害者を教えている先生達。お年を召されているがそれがまた味わいのある表現となっている。先生達、そしてフレッシュで素直な若者達、それが一つになり、又個性がお互いを助け合う。人間というのは何てしなやかなんだろうと思わせてくれた。

ありがとう!

by 香瑠鼓 >>HP
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by lampslodge | 2008-02-14 13:58 | 2008

2月のメッセージ

朝日広告賞の審査会場で山本寛斎氏と会った。

「カオルコさん、ニューヨーク中の人をびっくりさせるようなことをしたいんだ。」

聞けば夏に大きな企画が控えており、NYの人は、特に踊りに対して日本人が西洋の真似をしているということで寂しいとおっしゃる。
私は答えた。「本当のオリジナルを追求するのであるならそこにいるお客様を知らない間に踊らせたらどうですか?」

丁度今私はASHOKAという革新的なアイデアを持って社会貢献している団体のために自分の即興のメソッドをまとめているところだ。相手を感応して即興するこの方法の中心は「共振」。障害のある方たちとコミュニケーションする時に相手のカラダから発しているものを全身で受け取る。そして一緒に踊る為にはまず自分のエネルギーを強くする(振動を細かくクリアにして)必要があると思ったのだ。逆にこちらの振動が明るく強ければ共振して踊ってくれる。より繊細になれば相手の良さを引き出せるのだろう。
嘘が無い踊りを追求したら障害のある方たちの踊りの素晴らしさが解り、又こちらも嘘が無い対応、心から楽しんでその場にいないと何も言わなくてもカラダは正直ですぐ伝わってしまう。

このような考え方に至ったのは定期的に自然の中に身を置くようになったからだ。混在する生命の生きるエネルギーが都会と共振してしまった私から人間という原始の生命体へと戻してくれる。自分がコントロール出来ない圧倒的な力が、これでいいんだと内包してくれる。私は自然に身を委ねるようになってから自信がついた。物質の全てが振動しているなら一体とまでもこんな感じかな?と私はよく声と体でいろんなモノを表してみる。特に音は空気の振動を鼓膜によって受けるのならモノとして目に見えている存在を別の形で表せるのではないかと試してみる。これには正解が無い。だから本当に面白い。

もうひとつ。共振して踊らす為にはビートが不可欠だ。私達のひと呼吸の間に脈を4回打つというのを聞いてから私は自分の体の中にあるビートを信じるようになった。血液の流れと心臓の見事な調和はあたかも自然や宇宙、未知そのものと人間が調和しているように感じる。自然の中にいると様々な心地良いリズムを感じる私は身体も邪魔するものが無ければ様々なビートを内在していると思う。
それを瞬時に出して切り替えるメソッド創った。一瞬にして力を抜けば声と体の動きでかなり遊べる。相手と組み合わされば全員で1つの楽器のようになる。コミュニケーションの知的レベルが高いのはリズム感であるという脳科学者の説も読んだ。自分の感情、思いに執着しないために一瞬にして切り替え、物事をあらゆる方向からみるのが指導する立場には必要だとワークショップから学んでいる。CMも同じ。短い中にインパクトを与える。切り替えの鮮やかさはリズム感から生まれて来る。

「共振」相手との素敵な触れ合い

しかしネガティブなものまで共振しないために次なるステップへ進まなければいけない。内なる炎を燃やそう。そして自然と共振し続けて行こう。

by 香瑠鼓 >>HP
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by lampslodge | 2008-02-12 13:10 | 2008

1月のメッセージ

制服を来崩した6、7人の男子高校生の間をすり抜けただけで不安になる。
怖い感じがするのは与えられた情報とワークショップなどでの体に刻まれた記憶だろうか。
と思ったら自転車と何かがぶつかった軽い事故を見てしまった。散らばったガラスを拾う中年の女性。ケイタイで警察に電話するサラリーマン。ほとんどが通りすがりの人々の中に心底同情している2人の男子高校生もいる。ひとかたまりになっていた人たちはこの現場を何とかしようという気持ちで結びつき助け合っていた。やっぱりそういうものなんだなと思いつつ‘みんな頑張ってください’と祈りながら通り過ぎた。

外見で人を判断する思考回路を断つ、感じる為のワークショップを創っている私なのにいつの間にか頭も心も固くなっている。瞬間に感じて顔に出した苦い経験を思い出した。

カフェでアジア系の兄弟が2人だけで食事をしているのを見て、とっさに奇妙に見え、怪訝な顔をしてしまった。2人はビクッと怯えて不安そうに私を見た。兄のTシャツは「サッカー魂」と日本語で書かれ、小学生らしき弟の世話を一生懸命していた。あまりの純粋さに私は目が離せなくなる中、2人は帰り際にセルフサービスの水を汲んで2杯飲みながら何回も頷き、調理場へコップを返す時はお辞儀をした。水をこんなにおいしそうに大切に飲むなんて!2人だけで食事をして心細かったかもしれないのに、ものすごく後悔をした。
たとえ自分の中にネガティブな思いを感じても、瞬間に2人の純粋さを受け取れば笑顔になるはずだ。

ネガティブを打ち消し、ポジティブに行動する。相手を無条件に信用出来なくても同じ人間同士私たちは繋がっている。誰かのちょっとした善意が私たちに影響を及ぼす。自分が存在するのも相当な人たちの奇跡のパズルが組み合わさり恩恵を受けている。

そして最近は思考の具体化のスピードが早くなり良い事も悪い事もすぐ現れてしまう。地球の温暖化も「このぐらい自分だけならいいや」と思い続けた人たちの為に異常なスピードで進んでしまった。隣の家が火事なら恐ろしいが今はどこかの国の森が火事でも恐ろしい結果になるのがわかる。時と場所を超えて私たちは密接に繋がっている。だからこそ瞬間の判断と行動がお互いに影響を及ぼすと思う。今こそ人間を信じよう。人間をもっと好きになりたい。

by 香瑠鼓
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by lampslodge | 2008-01-28 13:27 | 2008